以前の記事で、2回目の転職でIT業界へ転職することができた、とお話しました。
今回は、そのうち1回目の転職でどのようなことを行ったのか、どのような考えで転職をしたのか、転職前後の仕事の変化についてお話しようと思います。
2回の転職で30代でIT業界に転職できた筆者の体験談をもとに、皆さんのIT転職への後押しが少しでもできれば幸いです。
- 筆者の1社目の仕事が、どれだけIT業界から縁のない仕事をしていたか
- 転職を決めた理由
- 転職に関してのメンタル的な部分
この記事を書いていると1章が長くなってしまったので、適度に読み飛ばしてもらってOKです。
転職前の会社について
転職する前の会社はこんな感じの会社でした。
- 建設業界(土木・建築)における製造業
- 土木の工事に使う材料と、その付属品的を製造販売している(特殊なのでほぼ自社製)
- 取引先はゼネコンなどの工事業者
- とある技術の独占販売権を有している
- 業界内ではかなり強い方で、社員数に対して売り上げはかなり高い方
このような会社で、技術職として具体的には以下のようなことを行うことになるはずでした。
- 製品を工事現場に設置するときの設計
- 製品の新規開発、改良開発、試作、試験
- 工場での立会検査などでお客様対応
同じ技術系として先に入社した先輩方はこんな感じのお仕事をされていましたが、私の場合はちょっと特殊で、入社1年目、どえらい状況に遭遇します。
時間外労働が200時間越え?地獄のようなお仕事
入社1年目の後半で、工事現場に配属されました。
ゼネコンではなくあくまで製造業(メーカー)なので、元々は自分たちで工事をするような会社ではないのですが、私が入社した時期には、自社で橋などの構造物の補修工事を請け負う新規事業の立ち上げ時期だったのです。
人員不足かつ体育会系とのことで、工事部隊への配属を命じられました。
とは言っても自分で作業をすると言うわけではなく、下請けの職人さんたちに指示を出す係で、いわゆる現場監督ですね。
- 工程管理
- 材料発注、在庫の管理
- 職人への指示
- 図面作成
- 検査対応
ここに挙げたものは代表的なお仕事で、他にも細々とやることが盛りだくさんです。
はじめの1ヶ月は工事現場のルールを教えるために先輩がついてくれてましたが、2ヶ月目からは1人で対応を始めました。
現場経験もなにもない人間を1ヶ月程度のトレーニングで監督として独り立ちさせる、というのもまったくもっておかしい話なのですが、中でも特に異常だったのは、アホみたいな時間外労働です。
当時のスケジュールはこんな感じ。
時間 | やること |
---|---|
7:00 | 起床 |
8:00~17:00 | 現場 |
18:00 | 事務所に戻る |
~26:00 | 図面作成、材料発注、お客様へメール対応、翌日の準備 |
27:00 | 就寝 ※夜間工事があるときは完徹で翌日の現場へ |
毎日こんな感じで、一日の睡眠時間は3~4時間。今考えても意味が分かりません。
こんなことをしていたら、月の時間外労働が260時間に到達しました。
・・・どうですか?これが時間外労働分ですからね?
通常、1日8時間勤務だとして月に22日働く場合は、8×22=176時間ですよね。
当時はそれを100時間余りオーバーするという、時間外の方が圧倒的に長いという異常事態です。
疲れをコーヒーとエナドリでごまかして、冷や冷やしながら足場を登っていましたが、結局足場から転落しかけて膝の靱帯を伸ばしてしまい、数年は足を組むのが辛くなる始末。
まじで死ぬんじゃないかと思ってました。
ピーク時のこんな生活があと1週間続いていたら、自殺か過労死するんじゃないかと考えた記憶があります。
で、無事に(?)現場を完了させてこの異常事態からは解放されました。
まぁ、この経験のお陰で少々の残業くらいでは音を上げなくなったのですが・・・
知識ゼロで新規開発メンバーにアサインされる
現場が終わってからしばらくは本来の技術職としての仕事をしていました。
2年くらいは通常業務だったかと思います。
その間も納品の支援で工事現場に行くことも多かったですが、1年目の経験値がバグっていたので、感覚としては大したことない現場ばかりでしたね。
で、2年後にアサインされたのはまたしても新規事業、と言うか研究開発をしている部署でした。
コンクリートの開発でしたが、元々コンクリートの材料自体は生業にしていない会社。
試験体を作って壊して強度を計測する、これの繰り返しですが、社長から指示されたタイムリミットに間に合わせるため、この時も残業はたくさんしていました。
月60時間くらいはデフォだったと思います。
コンクリートに関しては、そもそもの知識が圧倒的に不足しているため、材料の配合や、セメントが水で固まる反応の化学式のようなものまで勉強しながら、実験を繰り返していました。
社会人になっても勉強は終わりません。必要なものなので、やるしかないです。
その過程でコンクリート技士やコンクリート診断士の資格を取得しました。
資格の合格体験記はまた記事を書く予定なので、そちらを参照ください。
工場で働く未来・・・考えられない
開発しているコンクリートである程度の強度が確保できる配合を見つけ、コンクリート材料自体の開発がひと段落すると、次は製品としての試験を繰り返すことになります。
例えるなら、新たな化学繊維を開発する、次はその繊維を使った洋服を開発する、といったイメージです。
製品の試験体を作って壊して強度を確認して、ここでもあまりやることは変わりませんが、製品としてつくるのであれば、工場で作業員を使って製品を作らなければなりません。
工事現場で職人さん相手に指示を出して人を動かしていた経験が役に立ち、私の指示で製品サンプル作りをこなしてもらっていました。
後にコンクリート製品をバリバリ売っていこう!という会社としての(社長の)意思があるため、製品の工場としても稼働できるようにしなければなりません。
次は製造ラインの立ち上げが必要ということになりますが、製造ラインの立ち上げでも考えることはいっぱいです。
- 今ある設備を活かせるか
- 新たに導入が必要な設備はどれか
- 導入するにあたり、お金と時間はどの程度かかるか
- 導入作業中は製品の製造に影響が出ないか
- 設備の管理基準、製品の品質管理基準はどう設定するか
このようなことを考えながら製造ラインの設計・調整を行い、実際に機器類を導入し、試験運転、本番稼働という流れになっていきます。
自分自身でも相当なリソースをかけていました。
製造ライン立ち上げの流れがあって、本番稼働に合わせて工場に転属になりました。転勤ですね。
営業さんから製品受注の連絡をもらって製造工程に組み込んでいく。
納期を落とさないようにヒトモノカネを管理していく。
ここでも残業は月平均で50〜60時間はありました。
残業代はフルでつくので稼ぎはそれなりにありましたが、ここで転職を決意することになります。
自分がやらないと工場が動かないし、効率的なやり方を探したり、管理基準を制定したり見直したり、やりがいは結構ありました。
続けているとだんだんと慣れてくるもので、慣れは慣れでいいのですが、続けていて人として成長できるのかなと考えると疑問が出てきたのもこの時期です。
転職を決意した理由
私が転職を決めたのは以下の理由です。
- シンプルにしんどかった
- 昔ながらの会社でもあったので、一歩間違えればパワハラになるようなことがある
- 人生を全て仕事に捧げている感覚だった
- 20代が終わってしまうのに何も楽しいことができていない!
- もっと自分のために時間を使いたい!
- IT業界は35歳定年説もあるし、転職するにも20代のうちにしとかねば!
詳しく話すと、私が転職を決意したのは2018年に入ってから、社会人になって8年目です。
ある程度仕事の仕方やサボり方、うまい妥協点の見つけ方を覚えてきたところです。
そうすると色々考えてしまいます。
中でも大きかったのは「このままこの会社で働いてていいのか?」です。
漠然としてますが、その会社では残業が多い分給料はいい、だけど好きなことをやる時間がない。
元々なりたかった職業はシステムエンジニア(出身学科やリーマンショック直後の就活でなかなかうまくいかなかった)。
この先ずっとヘルメットを被って工場の中や工事現場を走り回る仕事を続けるのか?
技術者として成長はしてきたつもりだけど、この会社や業界に特化しすぎていて、会社からは必要とされるだろうけど、社会的に汎用性がない人間になってしまうのではないか?
やりたいことに挑戦しないまま終わっていいのか?
やるなら今ではないか?俺はこのままでいいのか?
そんなことを考えながら、気づいたら転職エージェントに登録していました。
そこからは、エージェントと面談して転職に対する意向や自分の想いを話し、いくつか求人を見繕ってもらって・・・
1つの会社に長く務めるとその会社の待遇などが自分のスタンダートになってしまって、視野も狭くなります。
エージェントに紹介してもらった求人から、他の会社の就労条件や待遇、福利厚生などを知ることもでき、いろんな会社や条件があるんだなぁと感じました。
何となく転職するという意思が固まってきました。
転職先
仕事の都合もあってなかなか面接などの時間を確保することが難しかったのですが、2社の面接を受け、内定を頂いた1社に決めました。ちなみに内定は両方の会社から貰いました。
航空測量や建設コンサルをやっている会社です。
上で、元々システムエンジニアをやりたかったと書きましたが、全然関係ないやん!と一見思えてしまします。
いくつかIT業界の企業にエントリーしてみたのですが、正直20代も後半でありながら未経験という属性では、IT業界に転職するというよりも、面接までこぎつけることさえ難しかったです。
しかし、転職先の会社では航空測量のデータや衛星データなど、様々な形式のデータを扱うことと、それに伴ってプログラミングが必要な場面もあるとのこと。
会社を変えてITエンジニアとしての汎用性を鍛えつつ、さらに衛星データをメインで扱う部署だったので専門性も鍛えられそうだな、というところで内定受諾を決めました。
衛星データを使うって、最先端感があってロマンのようなものを感じませんか?私だけ?
ちなみに学生時代の先輩が務めており、新卒の時にエントリーしてお祈り(採用試験の落選)をもらっていた会社でした。
元々行きたい会社でもあったため、というのも理由としてはあります。
他に面接を受けた会社
いわゆるシステムエンジニア職の募集がありました。製造業向けSIerです。
大手メーカーの下請けでシステム開発・運用を担っている会社でした。
なので、工場が稼働していない夜間や休日に生産管理システムのメンテナンスを行う可能性があります。
これは不規則な生活になりそうです・・・
前の会社でアホほど残業をしていたことも転職を決めた理由であり、ちゃんと人間的な生活をしたいと思っていたので、内定はもらいましたがこちらからお断りしました。
メンタル的な部分について
就活から初めての就職
私は、リーマンショック後に就活を始めました。
当時は就職難と言われていて、どこの会社も採用を絞っていました。
30社くらい応募しましたが、なかなか内定をもらえず、ましてや面接まで到達することも困難でした。
説明会やグループディスカッションばかりに参加し、夜行バスで東京・名古屋・大阪・福岡を行ったり来たり。本当に大変でした。
そんな中、大学の経験が活きる会社から内定を貰いました。それが1社目の会社です。
社会人経験0の人間を採用してくれたことに、とても感謝しています。
採用活動にもお金がかかるし、私に投資してくれているということですからね。
入社してからも、メーカーとして独自の技術を惜しみなく教えてくれました。
当然、門外不出の情報です。
自分を信頼して教えてくれていたのだと考えると、とてもありがたい話ですね。
1社目から転職
その会社は、プロパーが多い会社でした。
みんな優しくて、いろいろ教えて育ててくれる雰囲気がありました。
厳しく怒られたこともありましたが、それも自分の糧です。
やりがいもありましたし、恩もありますが、自分の人生は自分のものです。
もっと自分のやりたいことにフォーカスしよう。
私は、転職を決意しました。
プロパーが多い中、転職組の元上司は応援して、こんな言葉をくれました。
「仕事でなんて残された側がどうとでもやるししないといけない。代えはいくらでも効くし、俺も前の会社を辞めても仕事の連絡なんて一回も来なかったから大丈夫だ。個人的にはマグナツがいなくなるのはめちゃくちゃ痛手だけどな!ははは!」
実際には私が辞めたあと、2,3回くらい後輩から連絡来たんですけどね(笑)
その後は会社の人からは連絡はなく、プライベートで繋がっているほど仲良くしていた先輩たちとはたまに他愛のないLINEのやり取りをしたり、時間があれば一緒にご飯を食べたりしてます。
まとめ
本記事では、筆者の1回目の転職について書きました。
IT業界へ転職するための初めの一歩として、IT業界ではないものの、色々なデータを扱ったりプログラミングを行う仕事への転職を経て、最終的にはIT業界へ転職できています。
IT業界に行きたい人も、そうでなくて転職というキーワードでこの記事にたどり着いた方も、こんな人もいるんだなと、参考にしていただければ幸いです。
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